タグ:女性作家 ( 59 ) タグの人気記事

「虹の谷のアン」

f0119179_0225023.jpgほらほら、危惧してた極右大連立の可能性を指摘する声、最悪の事態を恐れる声がチラホラ。中島岳志さんのこんな怖いツイートもあって、今年の流行語大賞は「国難去ってまた国難」だったりして。
さて、アンブックスのレビューを書こうと思っていたら、神谷明さんが槐柳二さんの訃報を伝えるツイート。槐さんといえば有名なレレレのおじさんよりも、モモ母は「赤毛のアン」のマシュウ役が好きでした。ご冥福をお祈りします。そのアニメや絵本でしかいらないアンをちゃんと読んでみようと年に一冊くらいのペースで読み続け、今年は「虹の谷のアン」を読みました。設定ではアンももう41歳。この作品ではアンもアンの家族も脇役で、話の中心は牧師館の子供達。途中で孤児のメアリーも乱入して、様々な騒ぎを起こしていきます。フェイスが可愛がっていた鶏のアダムが隣町から来た牧師をおもてなす為にしめられたり、自らへの罰として断食をして幼いユナが倒れてしまったり、やはり子供がメインの方が生き生きとして、「炉辺荘のアン」よりもずっと楽しく読めました。大人たちは狭いコミュニティで噂話に花を咲かせ、物語の世界として読むのは良いけど、住むのはちょっとなぁと思う。でもどうやらこうした平和で牧歌的な話はこの作品までの様で、次作では第一次世界大戦下でアン一家の男たちも戦地に赴くとか。それはまた来年以降に読むつもりです。
[PR]
by mmcmp | 2017-10-02 01:46 | カフェ読書 | Comments(0)

「漁港の肉子ちゃん」

f0119179_040249.jpg11日で今の京都駅ビルが開業して、もう20年だそうです。尖閣諸島が国有化されて5年、アメリカ同時多発テロから16年、そして父の87歳の誕生日でもありました。
西加奈子の「漁港の肉子ちゃん」を読みました。個性的な表紙。元テレビディレクターOさんに頂かなかったら知らなかったし、西加奈子って「蛇にピアス」の人だっけ?(いや、それは金原ひとみ)と思いながら読み始めました。悪い男に騙されて来た通称・肉子ちゃんは、まん丸に太った北の港町の焼肉屋で働く明るい38歳。作品は娘のキクりんの目を通して語られるスタイル。地方都市特有のコミュニティの温かさと、その一方で早く大人になって街から出たいという鬱陶しさも抱く聡明で多感なキクりんの語りが、肉子ちゃんや焼肉屋の主人サッサン、白亜の豪邸に住むマリアちゃん、すぐ変な顔をする二宮などの同級生を生き生きと描き出しています。起承転結とかヤマ場とかいうのがなく、小さなエピソードを重ねて淡々と肉子ちゃん母娘の暮らしが綴られて行くのは、今どきの小説ですね。まぁ昭和のヒーロー、ヒロインみたいな劇的な人生を歩む人はごくわずかで、大多数の人生ってそういうものですね。平凡な暮らしの中で肉子ちゃんはどんどん太り続け、キクりんは日々成長して、今の自分はもう二度と現れることはない。作品は作者が宮城県石巻市に一泊旅行をしたのがきかっけで生まれたそうで、人だけでなく街もずっと同じ形でいられないことを東日本大震災で痛感したと石巻に同行した日野淳は解説で書いています。いつかこの世から消えていくとしても、思いや「ここにいた」瞬間を残すことは出来る、それが小説を書くことではないかと作者は言います。作中、キクりん以外の「私」が語る場面が2回あり、1つはキクりんが生まれる時のこと。もう1つが水族館にいるペンギンのカンコちゃんの独白。遠い海から日本に連れて来られたカンコちゃんが語る数ページが、何故だか印象に残っています。
[PR]
by mmcmp | 2017-09-12 01:42 | カフェ読書 | Comments(0)

「むかしのはなし」

f0119179_148201.jpg20日のNスペ「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」も面白かった。終戦からの1年間、戦後ゼロ年の東京を写した貴重な映像に山田孝之が入り込むドラマ仕立てのドキュメンタリー。今のデジタル技術ってこんな演出が出来るんですね。なんか浅田次郎の「地下鉄に乗って」を思い出すと思ったけど、菅野さんは「種本は『敗北を抱きしめて』だな」とツイート。なるほど、初めて知りました。読んでみようかな。(ちなみに「踊る宗教」北村サヨに関連して菅野さんがこんなツイートも。サヨさんは安倍さんも敬ってるそうです。)
そう言えば、カフェ読書の記事を長く書いてないので、日曜に読了した三浦しをんの「むかしのはなし」のレビューを。「かぐや姫」や「桃太郎」などの日本昔話の概略を冒頭に記した7つの物語。父親の一族の男達はみな短命だという「ラブレス」や叔父との恋を語る16歳の少女の告白「ディスタンス」など、それぞれが独立した作品だと思ったら、「入江は緑」で3ケ月後に隕石が地球にぶつかることが発表され、その後の作品で描かれるのは地球に残った人だったり、ロケットで脱出した人だったり、あ、連作か・・と漸く気づく。日記や取り調べ調書等、形式もバラバラ。でも、「ロケットの思い出」で犬のロケットが川から流れてきたエピソードがあると思ったら、「たどりつくまで」のタクシードライバーが子供の頃、子犬をダンボールに入れて川に流した経験があったり。表現や組立に作家の貪欲な姿勢が見えて、さすがと思わせる小説集に仕上がってました。特に好きだったのが空き巣犯が語る「ロケットの思い出」とモモちゃんを裏切って脱出ロケットに乗った「僕」が語る「懐かしき川べりの町の物語せよ」。最終話「懐かしき・・」の「途方もない孤独感と、だけどかすかに存在するひりつくような連帯感」は犬のロケットの命日には晩飯を食べないという「俺」や他の作品にも共通していて、それ故に、どの昔の話も未来を生きる者の心に残る様です。
[PR]
by mmcmp | 2017-08-21 03:29 | カフェ読書 | Comments(0)

「デビュー50周年記念展 池田理代子」

f0119179_22474643.jpg籠池さんの長男のツイッターへのリツイートに保護者と思われる方の興味深い書き込みが。維新は小学校を作らせようと動いていたのに、突然手のひらを返して森友を潰しにかかっている模様。長男の言い分が正しければ系列保育園の保育士不足は大阪市の介入で保育士が辞めたからだとか。報道ではなかなかその辺りの経緯が伝わって来ないですね。
さて、芳年だけでなく、やっぱり池田理代子展も観たいと思い、最終日に京都高島屋に行って来ました。モモ母世代の女子にとってベルばらは大きな影響力がありました。フランス革命に興味を持ったのもこの漫画だし、初めての海外旅行でベルサイユ宮殿を訪れた時の感動は忘れられません。ちなみに次は「ウルトラセブン展」をやるそうで、モモ母世代の男子ってセブンが好きですよね。で、会場はかつての少女たちで賑わっていたんですが、白髪の女性も結構おられました。いくつになっても心は乙女。モモ母は子供の頃、漫画を描いてまして、りぼんの漫画スクールにも何度か投稿したことがあったので、原画を見るとワクワクします。先日、テレビでながやす巧の仕事風景を取材していて、スクリーントーンを削って複雑な表現をされてて驚いたんですが、半世紀前の池田理代子の原画は線の入れ方もスクリーントーンの使い方もシンブル。自分も髪型や髪に縦線を入れる手法などを真似て描いてたなぁと懐かしい。でも、ストーリーは原爆症が出てきたり、かなり社会派な作品を描いてたんですね。民衆の側に立ったオスカルにも「心は自由なのだ。自由なのはこころのみにあらず!! 人間はその指先1本、髪の毛1本にいたるまで、すべて平等であり自由であるべきだ」と言わせている。当時は当たり前のこととして読んでいたけど、共謀罪が成立しようとしている今、見ると、妙な気分。共謀罪で日本はフランス人権宣言から離れていくとの指摘もあり、大人になって、しかも絶妙のタイミングでこの場面に再会した不思議を感じずにはいられませんでした。行って良かったです。
https://www.takashimaya.co.jp/base/corp/topics/170215d.pdf
[PR]
by mmcmp | 2017-04-24 02:59 | 観劇・鑑賞 | Comments(0)

「恋歌」

f0119179_14365989.jpg平成の治安維持法とも言うべき共謀罪の成立なしに五輪は開けないと安倍さん。五輪開催中は基本的人権を制限する話もある様で、松井計さんの言ってることの方が正しいと思います。
さて、朝井まかての「恋歌」を読みました。最初は上級国民のお嬢さんの思い出話という感じだったのが、途中から盛り上がりが凄くて、どんどん引き込まれました。「樋口一葉の師匠」として知られる歌人・中島歌子は水戸藩士に嫁ぎ、幕末の内乱に翻弄されて投獄。天狗党の志士である夫や愛情深い爺やを志半ばで失った壮絶な過去を綴った手記を、弟子の三宅花圃が読む形で物語は進行します。勝てば官軍とはよく言ったもので、良き国を作ろうと願いながら逆賊にされた天狗党は妻や子供まで投獄。「貧しさと抑圧が怖いのは、人の気ぃを狭うすることやな」と貞芳院が言う様に、男が始めた戦の為に愛する者と離れ離れになり、獄中で次第に礼節をなくす民の中で、処刑直前まで論語等を学ぶ武家の妻子。教育の大切さを感じさせる場面でした。情勢が変わると、天狗党を弾圧した諸生党が今度は虐げられる側に。攘夷だったはずの薩長が維新後の文明開化を積極的に謳歌し、多くの犠牲を忘れたかの様な平和に複雑な思いの歌子。手記を花圃が読む形式はまどろっこしくてイマイチと思ってましたが、大矢博子の解説によると、この作品は「伝えること」もテーマのひとつだとか。志に生きた男には敵にも味方にも妻や子供がいて、内乱の中を生き抜き、再生して行った。幕末の悲劇を知らず、ちゃらちゃらした明治生まれのヒヨっ子たちに、名も残せず死んで行った男たちや喪失を抱えて生き続けた女たちの犠牲の上に今が成り立っていることを歌子は伝えようとし、伝えることの積み重ねで歴史は出来ているのだと。なるほど、治安維持法を復活させようとする動きがある今、平成のひよっこである私達も、歴史を学び、受け継ぐ必要性を改めて感じます。
※何故か松井さんのツイッターへのリンクが何度やっても出来ない様です。クリックして飛ばない様でしたら面倒をおかけしますがFC2を経由して下さい。よろしくお願いします。
[PR]
by mmcmp | 2017-01-11 15:38 | カフェ読書 | Comments(0)

「雪と珊瑚と」

f0119179_22421195.jpg梨木香歩の「雪と珊瑚と」を読みました。梨木作品は「家守綺譚」は大好きだったけれど「裏庭」などはイマイチ。これはどうかな~と読む前は思いましたが、なかなか好きな作品でした。赤ん坊の雪を抱えた21歳のシングルマザー珊瑚が、「一日働いて帰って来る人が元気を取り戻す様な総菜を提供したい」と総菜カフェを起業し、成長していく物語。女性が店を始める話として「食堂かたつむり」を思い出しましたが、こちらの方が断然完成度が高い。カフェ開業を夢見る人には良き指南書に、立ち止まっている人や人間関係に躓いている人には前に踏み出す力になりそうな小説です。
現実はそんなに都合よく赤ちゃんを預かってくれる女性が現れたり、その人が料理上手だったり、その甥が無農薬野菜を作ってたり、借りることになった民家を好きに改装していいよと大家が言ったりしないでしょうし、カフェをやろうと思い立って実現し、駅ビル出店の話が持ち上がるまであまりに早すぎるとは思うけど、梨木作品はある種の寓話。自分は孤軍奮闘してるつもりでいたけど、親身になってくれる人が周囲にたくさんいたことに気づく珊瑚。そして周囲の人も皆それぞれの破綻を抱えながら、辛うじて社会は回っているのだと知る。「人は潜在的に復興しようと立ち上がる力があるけれど、それを確実なものにしていくのは温かい飲み物や食べ物」と外国の修道院で暮らしたことがあるくららさんは言います。丁寧に作られた滋味な料理は生きる糧となり、居心地の良い場所は人の心を癒す。そのことはモモ母も身を持って実感する日々です。解決しないことがあっても、毎日の生活は前に進む。いろんなものを栄養にして、人は生きていくんですね。
[PR]
by mmcmp | 2016-12-06 23:48 | カフェ読書 | Comments(0)

「架空の球を追う」

f0119179_2273968.jpg例年2000円近い灯油がこの冬は1700円程でさすが原油安と思っていたら、今日は1150円。思わず「えっ!?」と声に出して聞き返しちゃいました。♪雪やこんこん~のメロディと共にやって来るお兄さんも「安くなったでしょ」。うちのメイン暖房はガスだけど、暫く石油ストーブにしたいと思います。
さて森絵都の「架空の球を追う」を読みました。素敵なタイトルで期待した表題作、まさか欽ちゃん走りする少年野球の話とは・・・。「パパイヤと五家宝」は駅ビル地下1階のいつもの庶民派スーパーでなく、3階の高級食料品店で優雅なマダムになった気分で買い物をする話。高揚感と普段のお得感を求める心が交錯する感じがリアルで面白い。百均で買った弱ったカブトムシを「トトロの森」と名付けた都立公園に放しに行く「夏の森」はすごく好きな作品でした。子供の頃、「自由奔放な女になりたい」と作文に書いた自分の心に、主婦になった今、漸く気づいた平凡だけど特別な一日が描かれています。昔、よく行った店がなくなってることに気づいた男女と、以前その店で働いていたというタクシー運転手が、店のオーナーのフクちゃんに再会する「あの角を過ぎたところに」。好きだった店が消えてしまった喪失感は何とも言えませんが、せっかくフクちゃんに再会出来たのに、再会したことで、ちょっとざわついた心のままラストを迎えるのが微妙。それに対して空港内の店で起きた出来事を綴った「彼らが失ったものと失わなかったもの」は年配の英国人夫妻の落ち着きが印象的でした。何気ない日常をスケッチした短編集は「この女」の様なインパクトはなかったけれど、読んでみればなるほど森絵都らしいと思うのでした。
[PR]
by mmcmp | 2016-02-16 23:20 | カフェ読書 | Comments(0)

「木暮荘物語」

f0119179_2228557.jpg三浦しをんの「木暮荘物語」を読みました。木暮荘は小田急線世田谷代田駅から徒歩5分のぼろアパート。それだけでモモ母には魅力的です。大学時代、主に利用したのは井の頭線と小田急線が交差する下北沢だけど、父が借りていたマンションは世田谷代田が最寄駅。各停しか停まらない小さな駅で、改札は新しくなったけど、ホームは今も小津の映画に出てきそうな独特の雰囲気があります。
三浦しをんが描くキャラはちょっとヘンな人が多い。「舟を編む」の馬締さんと似た印象の瀬戸並木は突然外国に行って3年も連絡しなかった癖に、新しい彼氏が出来た繭の部屋に平気で戻って来るし、大家の木暮じいちゃんは死ぬ前にもう一度セックスするのが悲願だし、サラリーマンの神崎は隣の部屋の穴から1階をのぞき見するし、女子大生の光子はのぞかれてると知りながら複数の男を部屋に招くし・・・。優しかった祖母の記憶につながる黒飴が好きな光子に、神崎が穴から黒飴を落みとす場面がありました。かなりヘンな行為なんだけど、何故か好き。そうそう、モモ母のお祖母ちゃんちにも那智黒とか犬の形のブラスチック容器に入った栄太郎の飴があったっけ。確かに誰だって普通じゃない一面がある訳ですが、吉田修一が「パレード」で描いた千歳烏山のマンションに住む男女に潜む闇と違って、この作品に描かれるのは不器用だけど誠実に日々を重ねていく人達。終章で数ヶ月ぶりに木暮荘を訪れた瀬戸は、懐かしさを感じる自分に「過去になったんだ」と思う。あの頃の自分とはもう違うから、人は懐かしさを感じるんですね。世田谷代田が懐かしい、懐かしいって、そういうことなんだなと改めて思うのでした。
[PR]
by mmcmp | 2016-01-25 23:36 | カフェ読書 | Comments(0)

「炉辺荘のアン」

f0119179_22562559.jpgモンゴメリの「炉辺荘のアン」を読みました。「炉辺荘」と書いてイングルサイトとルビが打たれています。年に一冊ペースで読み続けているシリーズも7作目。アンは30代、6人の子持ちとなっていて、若い頃の生き生きした話と違ってカントリーサイドに暮らす専業主婦の日常は、事件といっても牧歌的で、冗長さは否めません。前作からのインターバルが長いこともあって、カタカナ名の登場人物がたくさん出て来て、これは誰っけ・・と思ったり。それでもファンはアンの物語が続いているだけで嬉しいんでしょうね。モモ母が机に置いた本を見て、某店のご店主が「私も赤毛のアンが大好きなんです」とおっしゃってました。
今作で生き生きしているのは、アンより寧ろ子供達。大人には他愛ないことも子供にとっては一大事。神様と約束事をして、深夜に墓場を通り抜けないと母親が死んでしまうと勝手に決めつけたり、自分は貧乏な家の子と赤ん坊の頃に取り違えられたのだという友達の嘘を信じ込んだり。お菓子を届けることが耐えられないほど恥ずかしいことだと思ったり。微笑ましく思いながら、客観的に見ると、大人も結構自分の妄想に囚われてることってありますね。医師として多忙な毎日を送るギルバートとの会話は少なく、終盤はちょっと倦怠期みたいだったけれど、日本の中年夫婦と違ってさすがギルバートは愛情表現が上手。かつての恋敵クリスチンは子供に恵まれないのに対し、自分は6人の子持ちであることを勝ち誇る専業主婦アン。これが当時の理想の女性像なんでしょうね。そうそう、印象的だったのは敬虔なキリスト教徒であるアン一家がクリスマスツリーの飾りつけをイブにしていたこと。当日には雪も降り、家族にとって喜びの日として描かれていました。クリスチャンでもないのに11月からツリーを飾る21世紀の日本人をアンは不思議に思うかも知れませんね。
[PR]
by mmcmp | 2015-12-08 23:56 | カフェ読書 | Comments(0)

「阪急電車」

f0119179_21555595.jpg有川浩の「阪急電車」を読みました。昔、「ベルばら」で初めてタカラヅカを観た時、さすが阪急っぽいなと思ったモモ母。阪急電車の車内って京阪や近鉄とは違う独特の雰囲気があると思う。どんな雰囲気かというとタカラヅカみたいな・・・と堂々巡りになってしまうんですが、これは阪急今津線で起きる小さな物語。宝塚駅に始まって、宝塚南口駅、逆瀬川駅、小林駅・・・と駅名が各章のタイトルになっています。
隣に座ったのが図書館でよく見かける女性だったり、後輩に奪われた元婚約者の結婚式に白いドレスを着て出席した帰りだったり、乗客たちはそれぞれの人生を生きて、様々な目的で電車に乗り、それぞれの目的地で下車していくワケで、乗り合わせた人達がつながって行くのは現実では滅多にないことだけど、そこは小説の世界。見知らぬ人の一言が意外と的を得ていたり、思わぬ決断をさせるきっかけになるのがフィクションならではの面白さでした。ところで有川浩って女性だったんですね。読了するまで男性だと思ってました。どうりで女性の集団に対する視点が辛辣。女子高生のグループも煩いけど、高級ランチを食べに行こうとしているおばちゃん集団は声も態度もデカくて、人が座ろうとしている所にブランドもののバツグを投げて席を確保する。確かにこういうおぱちゃん達って関西にいるかも、そして本当は嫌だけどグルーブからはじかれたくなくて、我慢してつきあってる康江の様な人も。でも掃除当番で遅れて来る友人の分も席を取ろうとしたミサを叱るおじいさんの話が出てくるけど、こういうのは割と普通に行われていると思う。そうやって席を取られたら残念だなとは思うけど、自分もするかも知れないから、激しく非難する気にはならないけどなぁ・・・。そりゃあ、他人が座ろうとした席にバッグを投げ込むのはさすがにNG。でも、友人の席を確保した中学生に一斉に非難の眼差しを向けるのは、少々不寛容な気がするのはモモ母だけでしょうか?
[PR]
by mmcmp | 2015-10-04 22:57 | カフェ読書 | Comments(0)