東京には角田光代の「さがしもの」を持って行きました。単行本では「この本が、世界に存在することに」の署名で出版された本にまつわる短編集。若い頃古本屋に売った本を旅行先のネパールでもアイルランドでもみつけてしまうという「旅する本」、見覚えのない本が手元にあるためにろくなことが起こらないという「不幸の種」は、どちらも同じ本が人生の時々によって全く違う印象を受け、変わったのは本ではなく自分なのだと感じさせます。裏表紙を開いたところにかつての所有者達の大量の書き込みがしているという「伝説の古本」を探す「引き出しの奥」やおばあさんが山積みの本に埋もれるようにして店番をしていた「ミツザワ書店」など、舞台となるのは大型書店ではなく学生街の古本屋だったり、かつてはどこの町にもあった個人経営の本屋さん。
この短編集は本好きには共感できる部分が多いのだろうと思います。でもモモ母はさほど本を読んでこなかったし(友人達には子供の頃からものすごい読書家だった人が多くて尊敬します)、多分友人達の方がハマるだろうと思いながら読み進めていたので、寧ろ印象に残ったのは京都に帰ってから読んだ「ミツザワ書店」と病床のおばあちゃんにある本を探して欲しいと頼まれる「さがしもの」。本は東京にも外国にも行ったことがないおばあさんにとっての世界への扉だったり、若き日の自分や家族と再会できるタイムマシンだったり。本を手がかりにいろんな記憶が蘇る。それは読書量の多い少ないに関わらず実感できる魅力ですね。