村上春樹の「スプートニクの恋人」を読みました。「1Q84」や「ノルウェイの森」じゃないのは、これがブックオフの105円コーナにあったから。僕はすみれを愛している。すみれは僕を大切に思うけれど、彼女が初めて愛したのは17歳年上の女性ミュウ。ミュウは過去のある出来事のために夫もスミレも受け入れることができない。そしてすみれは旅先で突然姿を消してしまう。恋人の失踪というのは村上作品で繰り返されるモチーフなんだそうです。独特の修辞が最初は鼻についたけど、流れるトーンは「ノルウェイの森」より寧ろ好きかも。
モモ母が好きなよしもとばななや大崎善生が村上春樹と似ていると聞いたことがあります。確かに生きることの孤独は共通するけれど、孤独だからこそ人と出会い、つながってることの幸福感がよしもと作品にあるし、人と出あった確かな記憶を重ねながら前に進んでいく大崎作品に愛おしさを覚えるのに対して、村上作品は人との関りで孤独がより深まるようで、虚無感が色濃く残るように思っていました。そしてその思いはこの作品でもさらに深くなった感じ。ラストですみれが戻ってきたのは寧ろ唐突だし(現実には戻ってないという読み方もあるようですが)、1人抜け殻になったミュウが悲しすぎる。蛇足ですが、ミュウが学校でシスターから聞いたという話が印象的でした。無人島にもし猫と一緒に流されたら、手元にあるパンを猫にわけてやるのは間違った行い。人間は神に選ばれた尊い存在で、猫はそうではないから、パンはあなた1人が食べきるべきなのだというもの。見知らぬ猫ならいざ知らず、友人の飼い猫だったらそうはいかない、ましてモモと一緒だったら、モモ母は間違いなくモモにもパンをやりますね。